スタッフ日記
「猛獣たちの感覚エンリッチメント」
環境エンリッチメントという言葉を知っていますか?
動物園の動物が心身ともに健康で快適に暮らせるように、飼育環境を改善・充実させることを環境エンリッチメントといいます。
近年だいぶ浸透してきた言葉なので、動物園に少し詳しい方ならご存知かもしれませんね。
簡単にいえば、その動物が幸福に暮らせるよう様々な工夫をすることがエンリッチメントの考え方ですが、一言で「環境エンリッチメント」といっても、その中身は色々あります。
例えば、エサの種類を増やしたり、エサをわざと隠したり与える時間を変えるなど、動物の食べる行動に対して工夫を凝らすことを採食エンリッチメント、
高所を利用する動物には登ることができる場所、水辺を利用する動物には水場を作るなど、その動物の特性に配慮した空間づくりをすることを空間エンリッチメントといったりします。
今日は、そのうちの感覚エンリッチメントというものをご紹介します。
感覚エンリッチメントというのは、動物の五感を刺激するエンリッチメントです。
ふわっとしていてイメージがしにくいかもしれませんが、例えば見慣れないものを置いたり、普段見えない他の動物を見えるようにして視覚を刺激する、他の群れの声を録音して聞かせて聴覚を刺激するなどですね。
野生では生き抜くために五感をフル活用して生きていますが、動物園ではどうしても変化に乏しい暮らしになりがちなため、様々な刺激を与えて生活に変化をつける、といったのが主な目的です。
言葉では説明しにくいので、浜松市動物園の猛獣たちに実施している実例でご紹介します。
今回は「ニオイ」をテーマにした感覚エンリッチメントです。
ではさっそくいってみましょう。
はい、ライオンの運動場に切り株を放り込みます。
ひゃっほーい
……あ、これは特に今回ご紹介する感覚エンリッチメントとは関係ないです。
与えた直後は楽しそうに遊んでいるライオンたちですが、飽き性なのですぐに遊ばなくなります。
ヘトヘトになりながら運動場まで運び入れたこっちの身にもなってほしいです。
さて、本題はここから…
取り出しましたるはこちら、魔法の水です。
こいつを哀愁漂う切り株くんにシュッシュと数吹き。
すると…。
なんということでしょう、さっきまで見向きもしていなかった切り株に、ライオン達が再び興味を示しました。
写真が分かりにくいので、ライオン以外も見てみましょう、今度はユキヒョウ。
苔が生えつつあるただのオブジェと化した切り株に魔法の水を吹きかけると…。
なぜかスリスリ、ごろにゃんし始めました。
…………はい、これ、何を吹きかけているかというと、香水です。
猛獣たちが興味を示したり、体を擦り付けたりしていたのは、得体のしれない謎のニオイがしていたからだったんですね。
さて、ここまで書くと、動物に香水なんて良くないんじゃないの?と思う方もいらっしゃるかもしれません。
そう思った方は、基本的には正しいです。
野生動物は種にもよりますが、ニオイでコミュニケーションを取ったり、縄張りを主張したりとニオイは重要な情報源です。
人間にとっては(くさっ…)と思うニオイでも、その動物にとっては安心できる自分のニオイだったり、異性の状態を知るバロメーターだったりします。
ですので、動物園の野生動物は臭くてもシャンプーなどで体を洗ったりすることはありませんし、猛獣たちなどではわざとニオイが少し残るように部屋の掃除をしたりもします。
近くで接する飼育担当者も、動物たちに不用意なストレスを与えないように仕事中は香水やニオイの強いものは付けたりしないようにもしています。
もちろん、動物に香水を吹きかけるなんてもってのほかです。
というのが前提ですので、切り株に香水を吹きかけたのも、別に「またここでウンコしたな、臭いから香水で消臭しよう」ってわけじゃありません。
今回香水を使ったのは、自分のニオイしかない空間にあえて変化をもたらすためです。
そもそも野生では、自分のニオイしかない空間というのはおそらくほとんどないでしょう。
動物園の環境とは違い、様々な動植物が同じ空間を利用していますので、当然他の動物のニオイだってするはずです。
様々なニオイの中から、異性が近くにいないか探したり、獲物の痕跡を嗅ぎ分けたり、天敵の存在を察知したり、嗅覚をフルに使って生きているんだと思います。
なので、香水を吹きかけて、普段嗅いだことのない謎のニオイを付ける、
得体のしれないニオイ嗅がせることで嗅覚を刺激させ、また「これはなんのニオイだ?」と考えさせる、
そうして動物たちの生活に少しでも変化を付け……られたらいいな、というのが感覚エンリッチメント(嗅覚)です。
他の動物の実物の糞尿等は感染症予防の観点から使いにくいので、今回は比較的使いやすくてニオイも強い香水(舐めても害のない成分のものを使用しています。)を使用しましたが、別に香水に限らず他のものでもいいです。
例えばオオカミのメイちゃんはおやつの犬用ジャーキー(初めて見るやつ)を上げると体を擦り付けたりしますし、
クロヒョウにハーブ類や木材を切ったときのおがくずを与えたら同じようにゴロゴロしたりします。
干からびたトカゲの死骸っぽいものに体を擦り付けてるのも見たことがあります。
要は安全なことと嗅ぎなれないニオイというのが重要なので、色々工夫するのもいいかもしれませんね。
ちなみに、この香水の利用、実は野生動物の調査研究の場で実際に活用されています。
どんなことに使用しているかというと、調査のために設置する無人カメラに香水を付けているんだそうです。
様々なニオイのする野生動物の生息地といっても、人里離れた森の中などで人工的な香水のニオイは、ほとんどの動物にとって得体のしれないニオイ、
確かめるためにカメラの前に居座ってニオイを嗅ぎにくるので、カメラに模様などがしっかり写って個体識別がしやすくなる、らしいです。
さらにそこから派生して、海外のある動物園では、チーターがどの匂いの香水を好むのか、企業と協力して調べた研究もあったりします。
匂いによってすぐ興味を失うものもあれば、かなりの長時間興味を示し続けた匂いもあったそうです。
今回は1種類しか使ってないので分かりませんが、いろんな香水を試し続けて好みの匂いを探し当てれば、さらに効果的なエンリッチメントになるかもしれませんね。(やりません。)
というわけで、猛獣たちの感覚エンリッチメントの紹介でした。
「ニオイ」という目に見えないものなので分かりにくいですが、こんなこともしてたりします。
動物たちが、少しでも刺激的な毎日を送れるよう、今後も色々と工夫していければいいですね。
【おまけ】
~某日某デパートの化粧品売場にて~
猛獣担当(香水売り場が見つからなくて迷った)「すいませーん、香水欲しいんですけど…」
店員さん(すごい気さく)「香水ですね、ご自分用ですか?贈り物用ですか?」
猛獣担当「えー、(ライオンとかへの)贈り物用です」
店員さん「贈られる方は女性ですか?」
猛獣担当「(メスもいるし)まあ、そうです」
店員さん「ではこちらですね。どういった香りがいいか、ご希望はありますか?」
(中略)
猛獣担当「じゃあ、これでお願いします」
店員さん「ありがとうございます、ラッピングはいかがいたしますか?」
猛獣担当「あ、なくて大丈夫です」
店員さん「?無料でお包みできますが…?」
猛獣担当「(そういえば贈り物って設定だったやんけ…)えっ…と、帰ってから自分で包むので、大丈夫です(適当)」
店員さん「あ、そうですか、失礼いたしました。ではお会計が…」
(中略)
店員さん「ありがとうございました。(お相手の人)喜んでもらえるといいですね!」
猛獣担当「そうですね、(ライオンとか)喜んでくれるといいんですけど」
嘘はついてないからセーフ。